長遠禅寺に眠る幕末の人物 人見勝太郎
幕臣の子として京都に生まれる。明治元年の鳥羽伏見の戦いでは旧幕臣として官軍と戦った。更に榎本武揚と共に函館戦争を戦い五稜郭に立てこもった。榎本らと降伏し投獄される。しばらく浪人生活を送ったあと明治9年東京裁判所の判事を経て内務省に入る。
明治12年に茨城県大書記官,13年に県令になる。旧徳川御三家の水戸を治めるのは旧幕臣が適切と考えられたようである。
その後、広瀬誠一郎と利根運河開削運動を行うようになるが明治13年加波山事件の処置で非職となる。
明治20年、利根運河会社設立で初代社長に就任。サッポロビール、その他多くの会社設立にも関与し実業家として活躍した。広瀬誠一郎、色川誠一らと共に「利根運河の三狂生」と言われている。
大正11年12月、79歳の高齢で他界。
日本の武士(幕臣)であり官僚、政治家、実業家という珍しい人生を歩んだ人物。