慈眼寺
1663年(寛文3)移転 山号福聚山 曹洞宗
1588年(天正16)鷹司信房の北の方、嶽星院が父・熊本城主佐々陸奥守成政の菩提を弔うために、曹洞禅の高僧大雲永瑞を開山として西陣石屋の辻子の南(慈眼庵辻子)に建立。成政の舎弟、本祝宗源和尚が開基として迎えられました。当初は慈眼庵と呼ばれ、京都市上京区の西陣地区には慈眼庵町の地名が現在も残っております。その後間もなく、二条京極東街の北の地に移転、この地は鷹司家の屋敷跡地である。ところが、この地が公用地であったため、1663年(寛文3)に現在地に移転、再建された。成政の孫で嶽星院娘の徳川三代将軍家光公正室本理院(鷹司孝子)が、大きく力を注いだと思われる。本尊は聖観世音菩薩座像。成政夫婦(めおと)・本祝宗源和尚の位牌をはじめ、嶽星院・本理院および鷹司信房・信尚らの鷹司家の位牌が祀られています。